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日本経済新聞 浅田真央に戻った笑顔 中国杯で表現した「滑る喜び」
本日、日本経済新聞のサイトに浅田真央選手の記事が載っていました。
素敵な内容だったので、ここでご紹介したいと思います。

ニュース記事
日本経済新聞 浅田真央に戻った笑顔 中国杯で表現した「滑る喜び」
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浅田真央に戻った笑顔 中国杯で表現した「滑る喜び」
フリーライター・野口美恵
2012/11/8 7:00

 浅田真央のコケティッシュな笑顔が弾けると、爽やかな風で鼻をくすぐられるように、ジャッジからフッと笑みが漏れた。

 4日まで行われたフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ中国杯。浅田はショートプログラム(SP)で「アイ・ガット・リズム」の軽やかなリズムに乗って小気味良いステップを踏みながら、愛嬌(あいきょう)を振りまいた。


b0122046_9555411.jpg■シニアデビューのときと同じオレンジ色の衣装

 15歳でシニアデビューしたときと同じ、オレンジ色をした衣装。SPで僅差の2位につけると、フリーで見事に逆転し優勝を飾った。

 「初めて出たシニアの試合もオレンジ色にポニーテールだったので、『あの頃みたいだなあ』って思いながらメークしてました。それにSPを踊ってる間、リラックスして楽しく滑れたんです。そういう意味でも、ちょっとでも15歳のころに近づけて良かったな、と思います」

 2005年、シニアデビューした浅田は、氷上をいともたやすく滑走し、何事にも動じない大物さで高難度のジャンプをポンポンと決めた。当時は「緊張ってしたことがないので、緊張がどういうものか分からないです」と答えて周囲を驚かせたものだ。

 それから7年を経て、浅田の口から漏れた「15歳のときのころ」という言葉。浅田にとってのスケートは、どんなものに変化したのだろうか――。

■「何をしているんだろう」 目標を見失った日々

 12年3月にニースで行われた世界選手権で、浅田はジャンプのミスが相次ぎ、2年連続の6位に終わった。大会を終えた後、慣性で練習には行ったものの、一向に気持ちが入らない。

 「いつもは世界選手権が終わると次の目標があるんですが、今年はそんな気持ちになれなかったんです。『私は何をしているのかなあ』という感じでした」

 目標がなければ練習の効率も上がらない。佐藤信夫コーチに相談すると、スケートを休むことを勧められた。佐藤コーチは言う。

 「『期限は無しで、しばらく好きにしなさい』と言いました。またスケートがやりたくなるまで、1カ月でも、もっと長くてもいい。本来どんなスケーターだって、身体も心も休めてスケートを忘れる時期は必要なんです。それで、いざ練習が始まったら基本からしっかり作り直すもの。だから僕は名古屋には行かず、彼女も新横浜には来なかったから、3カ月は一緒に練習しなかったと思います」

 日本選手が長期のオフを取ることは少ないが、海外選手ならば1カ月ほど休むのは珍しくない。浅田も国内外の旅行をして、スケートから離れた生活を送った。


b0122046_103125.jpg その間、多少の自主練習はしていたものの、本格的にスケートを再開する気持ちにはなれない。スケートを辞めたいと思う時期さえあったというが、7月末のアイスショーが近づいてきたころ、気持ちに変化があった。

 「このままこうしていても自分のためにならない。『自分は何しているんだろう』という気持ちになって練習を始めたんです。最初は、自分の気持ちを頑張ってスケートに向かせながらの練習でした」

 練習に行けば「何をしてるんだろう」。スケートから離れれば「何をしてるんだろう」。どっちに転んでも明確な目標が見つからないまま、しかしスケートを捨てることもできなかった。

■従来どおり基礎から厳しい練習

 リンクに戻ってきたまな弟子を、佐藤コーチは温かくというよりは、愛情のある厳しさで迎えた。佐藤コーチは語る。

 「従来のオフどおり、全てのことを基礎からやり直しました。かなりプレッシャーをかけて、甘やかしませんでしたよ。甘やかしてもどうにもならない。厳しい世界だから」

 休みは無期限と言っていたものの、いざ戻ればいつも通りの厳しい練習。むしろ休んだ代償で「しばらくは感覚が戻らなかった」という浅田は、毎日4時間以上の練習をひたすらこなした。

 SPの曲は「アイ・ガット・リズム」、フリーは「白鳥の湖」に決まり、振り付けも終えると、練習はさらに密度の高いものへと移っていった。
 同じく佐藤コーチに師事している男子の小塚崇彦と2人での貸し切り練習。自分の曲がかかっているときに滑り、相手の曲がかかっている間に注意点を聞く。そうしているうちに、またすぐに自分の曲が……。
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 「決して楽な練習ではないと思いますよ。スケーティングもジャンプも、僕の理想とするものにはまだまだ及びませんから」と佐藤コーチ。

 コーチのこの前を向く厳しさが、練習を開始した浅田にとっては必要だったのだろう。

 「いざ練習に入ったら、気持ちもスケート中心の生活になっていきました」と振り返る。

■浅田と逆の発想、佐藤流の指導

 佐藤コーチの指導法は、いたって堅実なものだ。

 「僕には秘策も戦略とかは無いんです。ゴールを決めて計画をたてる、というタイプでもない。ここまでできるなら、次はこうしよう、という繰り返し。ちょっとずつ伸びていくことが目標。それをいつも言ってきた」

 「ソチ五輪を目指しての計画とか、今季の世界選手権で表彰台とか、ゴールを設定して練習することは一切やらないんです」

 これは浅田にとってまったく逆の発想だった。

 これまでの浅田は分かりやすいゴールを決めて努力するタイプ。15歳のころから「オリンピックに出たイメージはいつもいつも描いている」と話し、五輪までは金メダルを目標に、日々練習を重ねてきた。

 佐藤コーチに師事してからも、ジャンプをフォームから修正しながら、トリプルアクセルの成功にこだわった。その強いこだわりが、ここ2年の試合では裏目に出ることさえあった。
 目標が見つからないまま練習を再開させた浅田。佐藤コーチと練習の日々を送る中で、ふと、自分の変化に気づいた。


b0122046_105848.jpg ここ5年間修正に挑んできたルッツが、練習でほぼ正確に跳べる。滑りの面でも、何度も注意されてきた「力強さ」や「滑らかさ」さが実感できるときがある。すると、そのタイミングで佐藤コーチから「ここは、すごくいい」「ここは無くさないように」と声がかかる。

 「去年と一昨年は、修正、修正で、自分でも『これでいいのかな』『こうかな、ああかな』と頭の中がゴチャゴチャだったんです」

 「でも、今はこうしたことの全てが消えて、先生の言ってることと、自分の感覚とがピタッと合ってきていて、そういうときに『ああ、これでいいんだあ』ってうれしくなります」

 日々の練習で感じる、ちょっとした成長の喜び。そんな感動が、浅田の一番のモチベーションへと変化していった。ゴールを無理に設定するかつての手法に固執しなくなったことで、漸進的な佐藤流の練習を自然と受け入れられるようになったのだ。

 「今年はレベルアップできそうな気がする。去年より、精神的にも技術的にもしっかりしている」と浅田は話していた。

■笑顔、驚き顔…SPで多彩な表情

 そして迎えた浅田にとっての今季のGPシリーズ初戦。中国杯で浅田は迷いの無い演技を披露した。こだわってきたトリプルアクセルは「話題にもしていない」といい、「練習通りに、自分のプログラムをしっかり滑る」と話していた。

 SPではコミカルな顔、天真爛漫(らんまん)な笑顔、驚き顔、困り顔、と“七変化”ともいえるような多彩な表情を見せた。滑りにスピードがついたことで、あえてスピードを落としてコミカルな演技でアピールする場面と、滑りの滑らかさを見せる場面との、メリハリもつけることができた。


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 フリーの「白鳥の湖」は、白鳥のように優雅に滑る場面、黒鳥をイメージして力強く舞う場面などを、スピードやパワーの強弱を使い分けて演じきった。
 「信夫先生のいっているスケートが、やっと3年目になって身体に染み付いてきたんだなと思いました。色々な滑りの幅が広がってきたんです」

■「今は自分の目指すものが見つかっている」

 結果は逆転優勝。GPシリーズで5年ぶりに優勝スタートを切れた。

 「今は自分の目指すものが見つかっています。スケートをすることで喜びを味わいたい。それが見えていれば頑張れる。本当に久しぶりのメダルもうれしいけれど、課題が見つかって次へのいいスタートダッシュになったということがうれしいです」

 かつての浅田は、ゴールに向かってプレッシャーを背負いながら努力してきた。ゴールを決めない佐藤流も、また一つのステップなのだろう。

 今季求めるものは「ちょっとずつ良くなっていく自分」。

 地味に聞こえるかもしれないが、それこそが15歳までの彼女が毎日の練習で感じていた、スケートの本当の喜びなのである。




真央選手の笑顔がこれまでより輝いて見えた理由がわかったような気がしました。
これはあくまで私の想像(いや、ここまでいくと妄想(汗))ですが、ちょっと書きたいと思います。
(妄想著しいので、真面目に読まないことをオススメします(笑))


真央選手は10代の頃、少なくともバンクーバーオリンピックまでは「オリンピック」を目標に頑張ってきたと思います。
それがいけないということではなくて、シニアに上がってからもトップを走り続け、すでに力があったわけですから、
その頃の真央選手には何より「オリンピック」が最も明確で重要な目標だったと思うのです。
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そして、オリンピック出場という夢を果たし、銀メダルを獲得。
たとえそれが思い描いてきた色のメダルではなかったとしても、オリンピック出場という明確な目標は達成された。
ここで一つ気持ちに区切りがついたのではないかな、と思います。
その後のトリノで行われた世界選手権のあと、真央選手は自分のスケートを見直したいと言いました。
それはなぜなのか。

真央選手は10代の頃も、よく「スケートが上手になりたい」と語っていたと記憶しています。
決してその気持ちを忘れてしまっていたわけではないけれど、やはりオリンピックに気持ちが向いていたと思います。
でも、初めてのオリンピックを終えたとき、その気持ちが再び強く現れたのではないかなと思うのです。

ですが、胸にスケートの改善を始め、信夫コーチのこれまでにない方針に合わせていく一方で、
一進一退が続く状況に、葛藤があったであろうことは記事を読んでもわかると思います。
このままで大丈夫なのか。そういった焦りもあったのではないかと思います。
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でも、今の真央選手には信夫コーチの明確な目標を立てないスタンスに合っているんだと思います。
多くの困難を乗り越え、疲れ果てた真央選手が自分を見つめ直した時、残った想いはきっと、
これまでずっと根底に抱いてきた「スケートが上手になりたい」という気持ちにほかならないと思うからです。
そしてそれが少しずつ、でも着実に実現できつつある。きっと楽しいと思います。

もちろん、ソチオリンピックは真央選手にとって大きな目標ではあると思いますが、
その目標を叶えるためには、少し置いてきてしまったかもしれない
「スケートが上手になりたい」気持ちを強く呼び起こす必要があったのかな、と想像します。
今の真央選手はまっさらな、とてもスッキリした状態でスケートができているように思います。

信夫コーチもこれまでのマスコミ対応を考えても、ソチへのプランが全くないというわけではないと思います。
ただ、今はそのプランを真央選手に伝える必要も、ましてマスコミに教える必要もないと思っているのではないかと。
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中国杯を終えた後、真央選手はもっとレベルアップしたいと目を輝かせていました。
信夫コーチはまだまだ、と仰るかもしれませんが(笑)
今の真央選手ならきっと大丈夫、そんなふうに思います。

今季の真央選手が自分のスケートができることを心から祈ります。

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by chi-chan0322 | 2012-11-08 11:34 | フィギュアスケート
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