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マロマユな日々~チワワとの妄想生活~
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織田信成選手、安藤美姫選手 引退を表明
大変遅くなりましたが、全日本選手権を終えて、
織田信成選手、安藤美姫選手が引退を表明しました。
いくつかニュース記事と動画をご紹介したいと思います。動画UP主様に感謝です!

ニュース記事
サンスポ 美姫引退…まな娘の前で涙のラストダンス/フィギュア
サンスポ 織田が引退表明…四大陸選手権を辞退、指導者へ/フィギュア
MSN産経ニュース 織田が引退「泣きに泣きます ホトトギス」
サンスポ 【織田トーク】「今が引き際と思った」/フィギュア/a>
サンスポ 四大陸選手権、織田に代わって無良が繰り上げ/フィギュア
スポーツナビ 安藤美姫と織田信成が進む新たな道
五輪の夢破れ、現役引退を発表
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フィナーレ・織田信成現役引退挨拶 - 2013 Medalist on Ice Finale & Nobunari Oda announced his retirement.
http://www.youtube.com/watch?v=zgT7tNHPuG8
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美姫引退…まな娘の前で涙のラストダンス/フィギュア
2013.12.24 05:05

 全日本選手権最終日(23日、さいたまスーパーアリーナ)ソチ五輪代表最終選考会を兼ねて行われ、7位だった元世界女王の安藤美姫(26)=新横浜プリンスク=は落選した。

 まな娘がいる会場で、安藤の瞳から涙がこぼれ落ちた。花で埋まったリンクをゆっくりと滑りながら、元世界女王はリンクに別れを告げた。

 「『ジャンプの安藤美姫』といわれたときの気持ちでやろうと思った。スケート人生17年間の恩返しができたかなと思うけど、感謝の気持ちでいっぱいです」

 冒頭で高難度の3回転ルッツ-3回転ループの連続ジャンプを組み入れたが、ループが2回転になった。続いてサルコー-ループの連続3回転に挑んだが、サルコーが1回転になると、その後は立て直せなかった。今年4月に未婚のまま女児を出産。2シーズンの休養をへて、地方予選から全日本選手権出場を勝ち取ったが、目標のソチ切符はつかめなかった。大会後には現役引退を表明した。

 「この後は試合もないと思う。きょうが最後の演技だと思います。門奈(裕子)先生みたいなコーチになるのが夢です。子供たちに夢を与えられる先生になりたい」

 9歳から門奈コーチと歩み、女子では世界で初めて4回転ジャンプに成功した。五輪の大舞台で見えた景色を伝えたい。今ではそう思うようになった。何度も流れる涙をふきながら、波瀾万丈の競技人生に終止符を打った。(山田結軌)

安藤 美姫(あんどう・みき)
 1987(昭和62)年12月18日生まれ、26歳。名古屋市出身。9歳で本格的にスケートを始める。2002年ジュニアGPファイナルで女子で初となる4回転サルコーに成功。06年トリノ五輪15位。07年世界選手権優勝。10年バンクーバー五輪5位。10-11年シーズンはGPシリーズ2勝を挙げ、世界選手権で2度目の優勝。11-12年、12-13年シーズンは休養。今年4月の出産を経て今季復帰した。1メートル62。
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織田が引退表明…四大陸選手権を辞退、指導者へ/フィギュア
2013.12.24 21:20

 フィギュアスケート男子でバンクーバー冬季五輪7位の織田信成(26)=関大大学院=が24日、現役引退を表明した。さいたまスーパーアリーナでエキシビションに出演後「きょうをもって現役を退く決意をした。ソチ五輪代表になれず、今が引き際だと思った。幸福で満ちあふれたスケート人生だった」と涙ながらに話した。

 四大陸選手権(来年1月・台北)の出場は辞退し、補欠の無良崇人(岡山国際リンク)が繰り上がる見通し。今後は母の憲子コーチの下で後進の指導にあたり「目指すのは五輪の金メダル。自分が届かなかった分、若い選手(の指導)に力を入れたい」と抱負を語った。アイスショーでの活動も視野に入れるという。

 織田は大阪府出身で、戦国武将の織田信長の末裔。2005年に世界ジュニア選手権王者に輝き、08年に全日本選手権で初優勝した。2児の父は今季限りでの引退を表明してソチ五輪代表最終選考会だった全日本に臨み、4位に終わった。(共同)


織田が引退「泣きに泣きます ホトトギス」
2013.12.24 21:32

 フィギュアスケート男子の織田信成(26)=関大大学院=が24日、前夜閉幕の全日本選手権を最後に現役を引退することを明らかにした。

 自身も出演したソチ五輪代表選手らによるエキシビション終了後、「今回をもって現役生活を退くことを決意した」と表明。内定していた来年1月下旬の四大陸選手権の出場は辞退する。

 高いジャンプが武器の織田は、初出場の2010年バンクーバー五輪で7位入賞。今季限りでの引退を表明していたが、全日本で4位に終わり、ソチ五輪出場を逃した。

 祖先とされる戦国武将、織田信長の性格を表す句にちなみ、涙もろい自身のスケート人生を「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」と詠み上げた。
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【織田トーク】「今が引き際と思った」/フィギュア
2013.12.24 22:27

 エキシビションでは涙を見せた織田は、引退の記者会見では悔いのない表情で思いを語った。

 -決断したのは。

 「ソチ五輪代表になれず、若い選手も強くなってきている。今が引き際だと思った」

 -悔しかった大会とうれしかった大会は。

 「悔しかったのは(スケート靴のひもが切れた)バンクーバー五輪。自分の演技を出せた時はどの大会もうれしかった」

 -最初は織田信長の末裔で注目を集めた。

 「最初は名前ばかり注目され、抵抗があった。でもそれをきっかけにスケートを見て、応援してくれた方もいて、自分の名前も得だったのかな」

 -心境を「鳴かぬなら…」の句で表現すると。

 「『鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス』。涙が印象的なスケート人生だった」

 -子どもにスケートをやってほしいか。

 「自分の子どもに教える難しさは、コーチの母と20年やって痛感している。やってほしい気持ちはあるけど、それは息子たちの選択に任せたい」(共同)


四大陸選手権、織田に代わって無良が繰り上げ/フィギュア
2013.12.26 05:00

 日本スケート連盟は25日の理事会で、フィギュアの四大陸選手権(来年1月、台湾)の男子代表に、引退を表明した織田信成(26)=関大大学院=に代わり、補欠の無良崇人(22)=岡山国際リンク=を繰り上げると決めた。
(紙面から)
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安藤美姫と織田信成が進む新たな道 五輪の夢破れ、現役引退を発表
2013年12月27日 11:00

 4年に一度の特別な戦い。史上最も過酷な国内戦。12月21日から23日まで行われたフィギュアスケートの全日本選手権は、そうした触れ込みに恥じない大激闘となった。来年2月に開催されるソチ五輪への出場権を獲得したのは、羽生結弦(ANA)、町田樹(関西大)、高橋大輔(関西大大学院)、鈴木明子(邦和スポーツランド)、浅田真央、村上佳菜子(ともに中京大)の6選手。世界大会での実績もあり、複数のメダル獲得も十分に期待できる顔ぶれと言えそうだ。

 その一方で、夢破れ、表舞台から去る決断をした選手もいる。安藤美姫(新横浜プリンスクラブ)と織田信成(関西大大学院)。長年にわたり、フィギュア界をけん引してきた功労者たちは、この全日本選手権を最後に現役引退することを発表した。

◆チャレンジ精神は失わなかった

 2006年のトリノ五輪と10年のバンクーバー五輪に出場し、07年と11年には世界選手権を制した安藤は今季、2年間にも及ぶ長期の休養から復帰。今年の4月には出産も経験し、母としてソチ五輪への出場を目指した。強化指定選手から外れており、全日本選手権に出場するためには予選を戦う必要があったものの、10月の関東選手権、11月の東日本選手権を勝ち抜いてきた。

 しかし、長期休養と出産の影響は計り知れなかった。筋力とスタミナの衰えは著しく、思うようなジャンプが跳べない。ショートプログラム(SP)とフリースケーティング(FS)で2つ良い演技をそろえることができなくなっていた。東日本選手権ではSPで41.97点と13位に沈み、全日本選手権への出場すら遠のきかけた。FSで巻き返し、なんとか出場権は勝ちとったものの、「日本で戦う最後の試合になるかもしれない」と覚悟を決めて臨んでいたという。

 それでもチャレンジ精神は失わなかった。東日本選手権では「(当時の状態では)10回跳んでも1回成功するかしないか」というトリプルルッツをFSに組み込んだ。確実に点数を取るために回避する選択肢はあったが、「簡単な道を選んではいけないし、他の選手と向き合う姿勢を持って出場しているので、自分が決めたことに弱気なままで逃げたくなかった」と、リスクを冒して挑戦に踏み切った。
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◆引退後は指導者へ「1人でも多く五輪に」

 全日本選手権もあくまで自分の意志を貫いた。SP5位で迎えたFSでは、難易度の高いトリプルサルコウ+トリプルループに挑戦することを決意。失敗に終わったが、「ジャンプの安藤美姫」と呼ばれていたころの誇りを最後まで持ち続けた。

「調子も上がってきていて、大きなミスもなく滑り切る余裕もあったので、そのままの内容できれいに滑り終えようかなと思っていました。でもSPが終わって、今季初めに『五輪に出場したければ全日本で優勝しかない』と言われていたので、その言葉を思い出したときに、最後は自分らしく終わりたいと思ったんです」

 振り返れば、18歳で出場したトリノ五輪でも本来の状態ではないなか、4回転サルコウに挑戦した。自分の意志に素直に従ったときは常に難しいほうを選択してしまう。総合7位に終わり、五輪出場は逃したが、安藤は“らしさ”を貫き通してリンクを降りた。

「2年前に選手としてはやり切ったかなと思っていたんですけど、いろいろな方からお手紙をいただいたり、いろいろな方にサポートしていただきました。選手としてまた戻ってくるという選択肢に導いてくれたことにすごく感謝しています。またこのような全日本という素晴らしい場に立つことができて、最終グループで滑ることもできたので、今日という日が選手生活で一番幸せでした」

 涙で目を赤くしながら競技生活に別れを告げることを発表した安藤。引退後は、アイスショーなどで滑りながら、指導者の道を目指すという。「9歳のときに初めてスケート靴を履いて、門奈(裕子)コーチに習い始めてから『自分もこんな先生みたいになりたい』と思ったんです。五輪は本当に特別な場所。自分の経験を語りながら、1人でも多くの人を五輪に連れていってあげたいなと思います」。世界女王にも輝いた天才が、今度はコーチとしてリンクに帰ってくる。
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◆万人に愛されるキャラクター

 織田のスケート人生は涙で彩られている。05年のNHK杯で初優勝が決まったときはキス&クライで大号泣し、一躍その名を知らしめると、バンクーバー五輪では演技中に靴ひもが切れるアクシデントに泣いた。そして引退を発表した12月24日の全日本選手権明けのアイスショー『メダリスト・オン・アイス』でも、演技後のスピーチで瞳を潤ませた。自身も先祖とされる戦国武将・織田信長の性格を表した句にちなみ「鳴かぬなら、泣きに泣きますホトトギス」と詠んだように、織田を語るうえで涙は欠かせない。

 万人に愛されるキャラクター。今回の全日本選手権でも、自身のFS演技後、五輪出場を争うライバルでもある高橋大輔に向かって「大ちゃん、ガンバ」と声を掛け、大会初優勝を飾った鈴木明子に対しては、彼女が泣くより先に泣き出して祝福するなど、自分を差し置いて仲間への思いやりを見せた。鈴木も「我先に泣き出すノブの優しい性格が大好きでした」と、織田の引退発表後に言葉を詰まらせた。引退スピーチのあとに、アイスショーの出演者全員が花道を作って見送ったのも、彼がいかに愛されていたかが分かるシーンだ。

 今季限りで現役を退くことはシーズン前に発表していた。しかし、五輪と3月に開催される世界選手権の出場権を逃したことで引退のタイミングは早まった。

「自分の実力の至らなさで、代表の座を逃してしまった。若い選手もどんどん強くなってきているし、いまが引き際かなと。もちろんこれからもっと頑張っていこうという決断もあったと思うんですけど、若い選手が強くなっているなかで戦い続けていくのは厳しいと思いました」
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◆「大ちゃんがいてくれたから頑張れた」

 ジャンプの美しさと着氷の柔らかさに定評があった織田は、まぎれもなく世界屈指の選手だった。実際、今季出場したグランプリシリーズではスケートカナダで3位、NHK杯で2位、ファイナルでも3位とすべて表彰台に乗った。全日本選手権では4位に終わったものの、総合256.47点という高得点を出している。選考基準は満たせなかったが、五輪に出場する実力は十分にあった。

 ソチ五輪に懸ける思いは人一倍強かった。「バンクーバーではふがいない演技だったので、その選手がこんな演技をしているんだと日本だけではなく世界にアピールしたい」。そう意気込んでいたが、その思いは成就しなかった。世界選手権でも過去最高は4位と、5回の出場で一度もメダルに届いていない。11年には左ひざを負傷し、長期離脱も強いられた。

 それでも「僕のスケート人生は幸福に満ち溢れていた」と、織田は話す。
「母がコーチをしていたこともそうだし、スケートを続けられる環境にも恵まれていました。試合に関してもつねにラッキーだったと感じています。本当にたくさんの方に祝福していただいて引退できたので、すごくすごく幸せでした。みんなにも『本当に今までありがとう』という言葉を掛けてもらって、ただただうれしかったです」

 同年代に高橋大輔という絶対的なエースがいたため、どちらかというと影に隠れがちだった。しかし、高橋がここまでの存在になれたのも織田というライバルがいたからこそ。織田も「大ちゃんがいてくれたから僕も頑張れたと思うし、ライバルとしても人としてもすごく尊敬しているので、同じ時代にスケートができて良かったです」と語る。

 引退後は、指導者を目指す。「関西大学のアリーナには07年からお世話になっているので、そこで新たに五輪を目指す選手を指導していきたいというのが夢や目標のひとつです」。五輪や世界選手権でメダルを取るという偉大な記録は残せなかった。それでも織田が記憶に残る名選手であったことは疑いようがないだろう。

 安藤と織田。日本のフィギュア界を支えてきた第一人者はそれぞれ新しい道に進む。世界を舞台に戦ってきた2人の挑戦は今後も続いていく。

<了>
(文・大橋護良/スポーツナビ)



ついにこの時が来てしまったんだな、という気持ちで、とても寂しいです。
本当に本当にお疲れ様でした。今までありがとうございました。
これからはコーチとしての活躍を楽しみにしています。
またいつか、キス&クライで会いましょう。

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by chi-chan0322 | 2013-12-29 16:31 | フィギュアスケート
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